牧師ブログ

聖書の暗唱は力です。

競泳選手でオリンピックのメダル候補であった池江璃花子船首が白血病と診断され、治療生活を余儀なくされたと言うニュースが報じられたのは、二月のことです。様々な報道がなされる中で池江選手がこのことを「神様は乗り越えられない試練を与えられない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」とツイッターで発信し、彼女の「強さ」に多くの人が感銘を受けました。彼女は体ばかりでなく、心も鍛えていたのだと思います。彼女の言った「神様は乗り越えられない試練を与えられない」という言葉は、聖書の言葉(コリントの信徒への手紙1・10章13節ではないかと思います。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるように逃れる道も備えてくださいます。」とあります。

この聖句は、旧約聖書において奴隷の地エジプトから厳しい荒れ野の旅の中で不平を言い、神様が新しい地(自由で、豊かな土地)に自分たちを導こうとしていることを信じることが出来ず、不平を言い、神様に言い逆らうことをして滅ぼされた、という出来事について使徒パウロが語った後、神様に信頼して生きる道を歩めば、それがどんなに辛い道であったとしても、必ず神様が乗り越えさせてくださる、と初代の教会の人々に語った言葉です。

大切なことは神様の約束に対する全幅の信頼です。そこで大切なのが聖書の言葉を繰り返し、暗唱することです。聖書を繰り返し暗唱する時に、私たちは自分の内側に自分を励まし、慰める「他者」を持つのです。私たちが心挫けそうになる時、その「他者」が私たちを慰め、立ち上がらせてくださるのです。だから、ぜひ、聖句の暗唱ににチャレンジしていただきたい、と思います。ただ棒読みに暗記するのではありません。心に刻むように暗唱するのです。

暗唱して学ぶ者が体験するのは、その日はうまく暗唱できることを翌日にはもう忘れてしまっていることです。「暗唱なんてできない!」と諦めてしまいたくなる。しかし、そのような挫折が「暗唱する人」には不可欠なものなのです。「溺れる」という体験がなければ、誰も泳ぐことは出来ません。失敗したらまたやり直せばよいのです。

自分の人生に突如暗黒の闇が襲ってきたように感じる時があります。しかし、聖書の言葉を昼も夜も口ずさみ、覚える者はそのような時も慌てることはありません。神様が自分の人生を拓いてくださることを知っているからです。

私たちは自分自身さえ信頼出来なくなってしまうことがあります。誰も信頼出来なくなる時がああります。そのような時こそ「暗唱した言葉」を持って、外に出てみましょう。。そこに自由があります。神様と隣人とから愛され、神様と隣人を愛する自由な歩みがあります。

人生を投げ出してしまうのは良くない。救い主イエス・キリストは私たちにこう語られています。「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる。誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、門を叩く者には開かれる」(マタイによる福音書七章七~八節)。

命の御言葉である聖書の言葉によって、困難を乗り越えていく人生を歩んでいただきたいものです。共にその道を歩んでいきましょう。

神様の祝福が豊かにありますように。

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