牧師ブログ

祈祷会の恵みより

5月30日(木)の祈祷会には6名の出席者が与えられ、マルコによる福音書2章23~28節より共に恵みを受けました。

私たちの「休み」とは何でしょうか。今年は10連休という休みがありました。しかし、長い休みにおいても「仕事の合間の休み」ということには変わりはありません。休みすぎると仕事のペースに戻れないし、仕事がたまるので、かえって休みたくない、という人もいるくらいです。休んで疲れを癒し、また働く。あるいは休日さえも有意義で充実したものでなければならないと思って、休日さえもオーバーワークで疲れて果ててしまうことがあります。長期休暇を認める傾向が増えたとは言え、それは、長い目で見れば会社の営業にプラスになるからです。そう考えますと私たちの「休み」は、働くための休みなのではないでしょうか。

安息日は労働のためにつくられたのではありません。安息日は私たちのためのものであるとともに、神様のためのものです。「聖別して神様にささげる日」です。その時間を私たちは自分のためでもなく、この世のためでもなく、神様に捧げます。神様のために用います。神様を礼拝するために用いるのです。神様との交わりのためにこの時を用いることにより、私たちは本当に自由になります。労働からも自由になります。あらゆるこの世のしがらみから自由になるのです。

この「自由」は主イエス・キリストを通して私たちに与えられます。キリスト教会は、それまでユダヤ教が「安息日」を土曜日(第七日)としていたのに対して、日曜日(週の初めの日)を「主の日」として、この日をそれまでの「安息日」と同じように守るようにしました。日曜日に主イエス・キリストが死者の中から復活されたからです。私たちの人生を空しくする「死」そしてその「死」は私たちの罪の結果です。主イエス・キリストは十字架で私たちの罪を贖い、復活して死に勝利されました。そして主イエス・キリストは天に昇られましたが、聖霊を送られて神の安息へと私たちを招き入れ、やがて再臨されて、神様の創造を完成されます。安息日とはこのように終末論的(世の終わりの希望)な意味を持つものとなりました。「安息」とは、ただ休むことではなく、神の国(神の支配)において私たちを救い、解き放ち、憩わせてくださるものです。主イエス・キリストは、ご自身がこの神の国をもたらしてくださり、その神の国において私たちがその安息に与ることを約束してくださいます。私たちが毎週守る礼拝は、神様の御国での安息の生活の前味なのです。

「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ福音書11章28節)と主イエス・キリストは招いておられます。この主の招きに応えて私たちも神様が用意してくださった安息の中を歩んでいきたいと思います。

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